2020年01月
2020年01月28日
朝日新聞・河合塾の学長アンケートは何が狙いなのか
ちょっと、朝日・河合塾による大学アンケートにムッとした。
以下が、朝日の記事(2020年1月27日配信)。
(ひらく 日本の大学)「私大が多すぎる」学長も懸念 朝日新聞・河合塾共同調査
学長に尋ねると、3分の2が「私立大が多すぎる」と答えた。
朝日・河合塾は、このアンケートでどういう結論を導きたいのでしょうか。
何にこのアンケートは使われていくのでしょうか。。
学長もみんな、言っている「私立大学、減らしたほうがいい」って。
今年も定員超過抑制で小規模の私大が結構志願者数が増えているのに。
政府のアンケートにもみえてしまう。
しかも、続く設問の回答...
私大の数を「多い」と考えている大学は、入学定員が3千人以上の大規模大は80%に達するなど、規模が大きいほど多い。(中略)
調査では各大学に、今後5年程度の間に、全学年の学生定員について増減させる予定があるかも尋ねた。(中略)
一方、「増やす・増やす方向で検討中」も18%あり、特に私大は21%に達した。私大が大半を占める入学定員3千人以上の大規模大は24%、大都市圏の大学は22%が増員を検討していると答えた。首都圏への学生の集中を是正するため、政府は東京23区の大学の定員増を抑制しているが、都内の大規模大の増員意欲は依然として強い。
大学の数は多すぎで、大規模大学は定員を増やしたいという。
結論は
「小規模大学は厳しいね」
「首都圏の大きい大学は定員を増やして生き残るっぽい」でしょうか?
河合塾は、予備校だから、立場的にそうかもしれませんが、
朝日さん、大学、特に小規模大学にこういうスタンスって、
あんまりじゃないでしょうか。
あなたも、国公立はさておき、地方の小さな私立大学はいらない、といいたいですか?
2020年01月14日
瀬谷の渡辺医院の思い出
20年程前まで、母が全面的に信頼をおいていたのが、
横浜市瀬谷区の渡辺医院だった。相鉄線瀬谷駅から徒歩4分ほどの近く
皮膚科が専門だが、いわゆる町医者で内科全般も診ていた、と思う。
町医者であって、いつでも患者はそれほど多くないのだが、
(あまり長時間待たされない)、いかにも昭和的な雰囲気の
冷たい床と長椅子がある待合は広くガランとしていて、看護婦さんも数人いた。
どうやって経営しているんだろうといつも不思議に思っていた。
渡辺先生自体は、鷹揚というか、患者によっては、乱暴またはいい加減に見える
部分もあるような先生。
どんなふうに、乱暴かというと、
・患者の口をみたあとの器具を、後ろの洗面台に放りなげる
(文字通り。看護婦に渡さない)
(文字通り。看護婦に渡さない)
・「薬は、少しくらいしまっておいても、後で使えるよ」とアドバイスする
・朝一番での診察の時は、定刻ギリギリに2階にある家からバタバタさせて降りてくる
(よく考えれば、そんな遅刻でもないのだから丁寧に降りればいいはず)
家族の誰かが診察に行くと、「今日の渡辺先生」の様子を、
笑いながら報告するのが常だった。
●
母が末期ガンであることが大きな病院の検査結果でわかった後、
娘の私は、報告に言った。
娘の私は、報告に言った。
細かく反応は覚えていないが、言葉少なくフォローしてくれたように思う。
いい加減な先生のように見えたが、医者なんだなぁと、少し癒やされて帰宅した。
●
昨日(2019.1.13)、用事があって瀬谷に降りて時間があったので、
思わず「渡辺医院」の場所に行ってみた。
思わず「渡辺医院」の場所に行ってみた。
別の女性的な皮膚科に変わっていた。先生も全く違う名前の女性。
近くには、昔からの薬局(小学校の塾の時の友だちの家)が手堅くやっていたし、
街のスポーツ用品屋さんも健在。
ただ、瀬谷駅近くの路地裏のお店や駅近くの喫茶店がなくなっていた。
道はあまり変わっていないけれど、別の街だった。
先生はいまどうしているだろう?
まだご健在だろうか?
まだご健在だろうか?
neco5959 at 22:43|Permalink│Comments(0)
2020年01月04日
ノートが取れない中学生ー新井紀子さんインタビュー雑感
続いて、新井紀子さんのインタビュー感想その2。
全面的には、この記事のストーリーに賛成できないのだが、
個々のエピソードの問題意識は、今の子どもの課題として取り上げるべきものがあるように思う。
さて、新井さんは、今の子どもが「ノートが取れない」話を紹介している。
「読む」「書く」訓練が少ないからだと言いたいよう。
実は、今の子どもの多くが、中学生になってもノートが取れません。ノートの取り方自体がわからない。成績下位の生徒だけでなく、中の上の生徒でもそうなんです。板書を写させると、写すことに「認知負荷」がかかりすぎるので、先生の話が聞けなくなります。板書に認知負荷が全て持っていかれてしまい、先生の話が聞けない状態なのです。本来ならば小学校3、4年生くらいまでに、先生の話を聞きながらノートが取れるようになってほしいのですが、それが難しい状況になっています。
インタビュータイトルにある「ノートを取る」は、
「先生の話を聞きながらノートが取れるようになる」レベルになることを
想定しているのだと思うが、
その「ノート」を取る作業というのは、いろいろな工程がマルチで進行している状況である。
今は、小中学生くらいだと、先生がバッチリ、ノートに取る内容を板書して、
「さあ、ノートに書いて」と生徒に指示がでて、
それを寸分違わず書き写すということがある。
この状況(黒板をノートに丸写し)から
先生が書かなくても(書きなさいと言わなくても)
重要なポイントを書き取るようになるというようになるには、訓練が必要に思う。
つまり、ノートに取る前に、「聞く」「理解」するという工程が入る。
この高次の作業は、小学校では特に訓練はしないのではないか?
ひょっとすると中学生もやらない。
とすると、高校生くらいで、先生の話を聞いて「ノート」を取るという工程を学ぶのか?
私自身は「ノートの取り方」なる授業は特に受けていないと思うのだが、どこかで会得したわけだ。
ちなみに、大学で、先生があまり黒板に書かず、「ノート」を取る講義というのもあったが、
一方で、先生の言葉を一字一句漏らさず書き留めるという講義もあった。
○
話のポイントをつかむこと。
書き留めること。
これは「ノートを取る」場合に発生する作業ではあり、
個々に論じたほうが整理されるような気もするが、
子どもが物事を把握するときには、「鉛筆(ペン)でノートに書き留める」ことが
ICTを利用するより、脳の刺激という意味で、よいような気がしている。
ここは、もう少し、引き続き、情報を集めてみたい。
【追記】
もちろん、オトナになってからPCで話を書き留めるのは、事後の作業効率化の観点で
アリだとは思う。
ただ、取材などだと、アナログ派で手を動かしたほうが、
後々の編集にいいような気もするんだけど、どうだろう?
読解力をいかに身につけるかー新井紀子さんインタビューを読んで
読解力をいかに子どもに身につけるか。
動画ではなくて、文章を読む力、内容を把握する力。
特に、文中の以下の文章には、少し思い当たるフシが。
この「ストーリードリブン」とは、
目の前の文章に、感情移入してしまうことなのではないかと思っている。
事実把握にとどまらず、むしろそこに出てくるキーワードや設定に過剰反応してしまう状態のこと。
先日(2019/12/26)、算数・数学ワークショップ(主催:NPOマナビバ)の後、
オトナから出た意見だったが、
「ある小学生に、アメを使った文章題を出した。
その子の反応は、”アメでなくて、チョコレートがいい”ということで、
算数の問題の解答の方に、なかなかいかなくなってしまった」
とのこと。
こういうということなんだろうと思う。
国語の文章題ならともかく、算数の簡単な文章題で、これだと先生も大変である。
で、対策はどうするかだが、
強制的にでも、少しずつでも「本」を読む時間を作る(作らせる)しかないのだと思う。
家族(親)が本を読む姿を見せるしかないだろう。
そして、ヒトと会話をすることをいとわないこと。
(Business Insider)
新井紀子先生のご意見にはこの文章に限らず、全面賛成というわけではないのだが
賛同するところも、ある。今回の1人1台PCによるICT教育で読解力が本当にあがるかどうかはともかくとして。
PISAでの、学力の測り方はともかくとして。
「読解力」はやはり読書量が基礎になるのではないかと、やっぱり思っている。
特に、文中の以下の文章には、少し思い当たるフシが。
先日中学生に対して数学の授業を行った際は、数学を読解の問題として捉えて、特にストーリードリブンな読み方をしている女の子に対して、“正確に読む”方法論を伝えました。文章から適度な距離を保ちながら正確に読む読み方と、小説のように入り込んで読む、その両方の読み方ができると、この先の選択肢が広がるよと説得しました。
この「ストーリードリブン」とは、
目の前の文章に、感情移入してしまうことなのではないかと思っている。
事実把握にとどまらず、むしろそこに出てくるキーワードや設定に過剰反応してしまう状態のこと。
先日(2019/12/26)、算数・数学ワークショップ(主催:NPOマナビバ)の後、
オトナから出た意見だったが、
「ある小学生に、アメを使った文章題を出した。
その子の反応は、”アメでなくて、チョコレートがいい”ということで、
算数の問題の解答の方に、なかなかいかなくなってしまった」
とのこと。
こういうということなんだろうと思う。
国語の文章題ならともかく、算数の簡単な文章題で、これだと先生も大変である。
で、対策はどうするかだが、
強制的にでも、少しずつでも「本」を読む時間を作る(作らせる)しかないのだと思う。
家族(親)が本を読む姿を見せるしかないだろう。
そして、ヒトと会話をすることをいとわないこと。
【つけたし】
甥(東京の公立小学校1年生)が冬休みの宿題で、読書+読書感想文を3冊分、
課されたと聞いたが、
読書感想文というより前に、何がどうだったか要約(あらすじ)を書かせるとよいの
読書感想文というより前に、何がどうだったか要約(あらすじ)を書かせるとよいの
ではないかと思った。
気持ちor意見を言う前に、客観的な事象を共有してから、「個人的な意見」を述べること。
これが、社会人になってもできないヒトって、本当にいた(とってもやっかい)。
2020年01月02日
大学のグローバル経営を考える
昨年末(2019年12月)、株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン(以下、K&A)より、
「大学のグローバル経営」に関する冊子がe-bookとして発行されました。
(リンク先のサイトより、無料でダウンロード可能です。本文:全33頁)
株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン
『Crisis or Opportunityー危機か機会か 未来のハイヤーエデュケーションのために』
そのうち、GKB48(学校広報ソーシャルメディア活用勉強会)として、大学マネジメント研究会会長・
この記事のための企画・編集の過程でもそうですが、昨年度QS APPLE2019に関する広報活動に
協力する過程で、本当の意味での経営のグローバル化が進んでいる大学は、日本では本当に少ない
ということを実感しました。
「国際○○」とか「グローバル○○」という名称がついた、学部・学科は、日本の大学に数多く存在し、
実際に、3ポリシーでも、海外を意識していることが多いにもかかわらず、です。
もちろん日本のどの大学でも、「国際交流」や「留学生」を意識した部署はありますが、”グローバル”を
「経営」までに組み込んでいるのかということでいうとそうではありません。
どうしてか。
それは、出口学長が、冊子で答えられたとおり、
(グローバルしなくても、日本の大学は)「困っていないから」(P27)。
日本の大学も、これからもそれでよい、ということではないはずですが、
本格的な改革に取り組まない限り実現できず、
困ったという意識がない教員・職員に、改革に着手はできず。
また、そもそも本格的にグローバル経営のための、日本の大学の改革を行うのであれば、
教育投資の財源のために、国家として取り組まないと日本の将来はないわけです。
いまの日本の教育が海外にとって魅力がないかというと全くそうではない。
スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバルさんのメッセージがささりました。
「大学が学生を教育するのは社会のためである、大学のためではない、ということを
私たちは肝に銘じなければなりません」。(P21)
2020年、オリンピックイヤーとして、日本が海外から注目される年に、
今いちど「真にグローバルな教育」について、考えてみてはいかがでしょうか。
--------------------------
【目次】
01 大学のクロスボーダー戦略
四川大学–香港理工大学災害復興管理学院 学部長
グレチェン・カロンジ
02 大学改革に必要な多様性
学校法人梅光学院理事長 大学マネジメント研究会会長
本間政雄
03 先手をとって変化する大学であれ
スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバル
04 大学は成長産業である
APU(立命館アジア太平洋大学) 学長
出口治明
05 早稲田大学評議員・商議員(全財務担当常務理事)
鈴庄一喜
エンダウメント創設と経営ガバナンス改革
「大学のグローバル経営」に関する冊子がe-bookとして発行されました。
(リンク先のサイトより、無料でダウンロード可能です。本文:全33頁)
株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン
『Crisis or Opportunityー危機か機会か 未来のハイヤーエデュケーションのために』
そのうち、GKB48(学校広報ソーシャルメディア活用勉強会)として、大学マネジメント研究会会長・
梅光学院理事長の本間政雄さんと、APU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口治明さんの記事の編集に携わりました。
この記事のための企画・編集の過程でもそうですが、昨年度QS APPLE2019に関する広報活動に
協力する過程で、本当の意味での経営のグローバル化が進んでいる大学は、日本では本当に少ない
ということを実感しました。
「国際○○」とか「グローバル○○」という名称がついた、学部・学科は、日本の大学に数多く存在し、
実際に、3ポリシーでも、海外を意識していることが多いにもかかわらず、です。
もちろん日本のどの大学でも、「国際交流」や「留学生」を意識した部署はありますが、”グローバル”を
「経営」までに組み込んでいるのかということでいうとそうではありません。
どうしてか。
それは、出口学長が、冊子で答えられたとおり、
(グローバルしなくても、日本の大学は)「困っていないから」(P27)。
日本の大学も、これからもそれでよい、ということではないはずですが、
本格的な改革に取り組まない限り実現できず、
困ったという意識がない教員・職員に、改革に着手はできず。
また、そもそも本格的にグローバル経営のための、日本の大学の改革を行うのであれば、
教育投資の財源のために、国家として取り組まないと日本の将来はないわけです。
いまの日本の教育が海外にとって魅力がないかというと全くそうではない。
本間政雄さんが冊子で言うように、
大きな期待が寄せられているのは、高等教育の「理工系の教育・研究」であり(P12)、
「小中高の教育」がしっかりしている(P14)ことも注目すべき点であるわけです。スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバルさんのメッセージがささりました。
「大学が学生を教育するのは社会のためである、大学のためではない、ということを
私たちは肝に銘じなければなりません」。(P21)
2020年、オリンピックイヤーとして、日本が海外から注目される年に、
今いちど「真にグローバルな教育」について、考えてみてはいかがでしょうか。
--------------------------
【目次】
01 大学のクロスボーダー戦略
四川大学–香港理工大学災害復興管理学院 学部長
グレチェン・カロンジ
02 大学改革に必要な多様性
学校法人梅光学院理事長 大学マネジメント研究会会長
本間政雄
03 先手をとって変化する大学であれ
スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバル
04 大学は成長産業である
APU(立命館アジア太平洋大学) 学長
出口治明
05 早稲田大学評議員・商議員(全財務担当常務理事)
鈴庄一喜
エンダウメント創設と経営ガバナンス改革
--------------------------
画像をクリックすると、e-bookがダウンロードできます(無料)