ノートが取れない中学生ー新井紀子さんインタビュー雑感朝日新聞・河合塾の学長アンケートは何が狙いなのか

2020年01月14日

瀬谷の渡辺医院の思い出

20年程前まで、母が全面的に信頼をおいていたのが、
横浜市瀬谷区の渡辺医院だった。相鉄線瀬谷駅から徒歩4分ほどの近く
皮膚科が専門だが、いわゆる町医者で内科全般も診ていた、と思う。

町医者であって、いつでも患者はそれほど多くないのだが、
(あまり長時間待たされない)、いかにも昭和的な雰囲気の
冷たい床と長椅子がある待合は広くガランとしていて、看護婦さんも数人いた。
どうやって経営しているんだろうといつも不思議に思っていた。

渡辺先生自体は、鷹揚というか、患者によっては、乱暴またはいい加減に見える
部分もあるような先生。

どんなふうに、乱暴かというと、
・患者の口をみたあとの器具を、後ろの洗面台に放りなげる
 (文字通り。看護婦に渡さない)
・「薬は、少しくらいしまっておいても、後で使えるよ」とアドバイスする
・朝一番での診察の時は、定刻ギリギリに2階にある家からバタバタさせて降りてくる
(よく考えれば、そんな遅刻でもないのだから丁寧に降りればいいはず)

家族の誰かが診察に行くと、「今日の渡辺先生」の様子を、
笑いながら報告するのが常だった。


母が末期ガンであることが大きな病院の検査結果でわかった後、
娘の私は、報告に言った。
細かく反応は覚えていないが、言葉少なくフォローしてくれたように思う。
いい加減な先生のように見えたが、医者なんだなぁと、少し癒やされて帰宅した。


昨日(2019.1.13)、用事があって瀬谷に降りて時間があったので、
思わず「渡辺医院」の場所に行ってみた。
別の女性的な皮膚科に変わっていた。先生も全く違う名前の女性。
近くには、昔からの薬局(小学校の塾の時の友だちの家)が手堅くやっていたし、
街のスポーツ用品屋さんも健在。
ただ、瀬谷駅近くの路地裏のお店や駅近くの喫茶店がなくなっていた。

道はあまり変わっていないけれど、別の街だった。
先生はいまどうしているだろう?
まだご健在だろうか?





neco5959 at 22:43│Comments(0)

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