さがみ野ネタ
2022年04月15日
小学生がパン屋の広報をする
地元(座間市)のパン屋、オジパンに行ったら、
パンが並ぶ壁に「まちたんけん~もっとなかよしまちたんけん~」という貼り紙があって、
子どもらしい文字で壁新聞をラミネートしたようなものが数枚貼り付けられていた。
コロナ感染予防もあるので、ずっとそこで読み続けられないと思ったので
「よく読みたいので写真を撮らせてください」と言って写真を撮らせてもらった。
ブログに貼るのは、小学校の許可なども必要になるだろうと思ったので、
ここには載せないが、子どもの文字らしい文字(鉛筆で書いたらしき手書き)。
タイトルは
「そうなんだ!オジパンのうら」
「オジパンビックリニュース」
「そうなの!はじめてしったオジパンニュース!」
「はじめてしったパンやのうらがわ」
「オジパンのひ・み・つ」
内容は
実際にパン屋でインタビューしたものを班ごとに記録をしてまとめたもののよう。
「オジパンは2012年5月にできたそうです。
お店は10時~夜7時までやっているそうです。
4時30分におきて5時30分からしごとをはじめているそうです。」
(オジパンのひみつ)
という具合。
そのほか、
・店の名前の由来
・パンの種類の数
・人気のあるパン
・従業員数
・1日で作られるパンの数
・パンのオーブンの形
・パンが作るのにかかる時間
・パンの値段の決め方
・パンの作り方
・パンを作るとき大切なこと
などを聞いていましたが、
中には自分の感想も入ってしまう作文チックになるものもあり、
先生がやりたいことから少しずれてしまったらしきものも。
ですが、子どもたちの見学の成果を取材先が貼ってくれるというのはいいですね。
まさに子どもたちによる、地元のパン屋の魅力を伝える、広報媒体になったわけですから。
願わくば、もう少し大きくコピーしてほしかったなぁ。
これがGIGAスクールでスキルアップすると、壁新聞ももう少しバージョンアップするだろうか。
パンが並ぶ壁に「まちたんけん~もっとなかよしまちたんけん~」という貼り紙があって、
子どもらしい文字で壁新聞をラミネートしたようなものが数枚貼り付けられていた。
コロナ感染予防もあるので、ずっとそこで読み続けられないと思ったので
「よく読みたいので写真を撮らせてください」と言って写真を撮らせてもらった。
ブログに貼るのは、小学校の許可なども必要になるだろうと思ったので、
ここには載せないが、子どもの文字らしい文字(鉛筆で書いたらしき手書き)。
タイトルは
「そうなんだ!オジパンのうら」
「オジパンビックリニュース」
「そうなの!はじめてしったオジパンニュース!」
「はじめてしったパンやのうらがわ」
「オジパンのひ・み・つ」
内容は
実際にパン屋でインタビューしたものを班ごとに記録をしてまとめたもののよう。
「オジパンは2012年5月にできたそうです。
お店は10時~夜7時までやっているそうです。
4時30分におきて5時30分からしごとをはじめているそうです。」
(オジパンのひみつ)
という具合。
そのほか、
・店の名前の由来
・パンの種類の数
・人気のあるパン
・従業員数
・1日で作られるパンの数
・パンのオーブンの形
・パンが作るのにかかる時間
・パンの値段の決め方
・パンの作り方
・パンを作るとき大切なこと
などを聞いていましたが、
中には自分の感想も入ってしまう作文チックになるものもあり、
先生がやりたいことから少しずれてしまったらしきものも。
ですが、子どもたちの見学の成果を取材先が貼ってくれるというのはいいですね。
まさに子どもたちによる、地元のパン屋の魅力を伝える、広報媒体になったわけですから。
願わくば、もう少し大きくコピーしてほしかったなぁ。
これがGIGAスクールでスキルアップすると、壁新聞ももう少しバージョンアップするだろうか。
neco5959 at 02:09|Permalink│Comments(0)
2022年04月03日
記録をするということ
前職で学校の広報を担当していた時は、当然仕事としてイベントの記録は様々な形で行ってきた。
だが自分のことは、かなりおざなりだ。
小さいころは、親が写真を撮ってアルバムを作ってくれたが、
学生時代や若い頃はあまり写真に撮られるのが好きでなかったし(うまく写る自信がなかった)
独身だったりすると、家族写真があまり多くない。
さて、2021年は座間市制施行50周年だということで、思い出の風景の写真を募集していたこともあって
自分のアルバムをみると、自分の写真はあっても周りの風景が分かるものは本当に少ししかない。
小さい頃、自分の家の隣は、和菓子屋だった(今は普通の個人宅だ)。
南の向かい側の家は、米軍の将校クラスの家族が住む広い庭付きの一戸建て住宅だった。
(いまは普通のアパートになっている)
小学生のころ、自分の家の前は、桑畑が広がっており、平屋の貸家が並んでいた。
その貸家のうちの一軒にピアノ教室があって、私たち姉妹でそこに通っていた。
(1980年代前後は、子どもはピアノと書道とそろばんを習うのがブームだった)
少し歩くと、小さいショッピングセンターや個人の八百屋、クリーニング店があったが今はない。
よく遊びに行った公園には、木登りをよくした木があったが、今は全くない。
それらのいろいろな思い出の場所についての写真が、驚くほどない。。
今は、スマホでみんなが写真を撮る時代になった。
いつでも撮れるのだが、どこかに遊びに行った特別な風景や、
誰かと一緒に過ごした出来事や、食事が撮影される。
それはそれでいいのだが、
近所や身の回りの写真も記録されると、
いろいろな記憶が一緒によみがえってくることも多いし、地域の記録にもなるだろう。
そういう意味で、google map に投稿する写真などは、長い目で見ると貴重な記録になるのかもしれない。
座間市立東原小学校の正門脇の桜並木(2022年4月2日撮影)
だが自分のことは、かなりおざなりだ。
小さいころは、親が写真を撮ってアルバムを作ってくれたが、
学生時代や若い頃はあまり写真に撮られるのが好きでなかったし(うまく写る自信がなかった)
独身だったりすると、家族写真があまり多くない。
さて、2021年は座間市制施行50周年だということで、思い出の風景の写真を募集していたこともあって
自分のアルバムをみると、自分の写真はあっても周りの風景が分かるものは本当に少ししかない。
小さい頃、自分の家の隣は、和菓子屋だった(今は普通の個人宅だ)。
南の向かい側の家は、米軍の将校クラスの家族が住む広い庭付きの一戸建て住宅だった。
(いまは普通のアパートになっている)
小学生のころ、自分の家の前は、桑畑が広がっており、平屋の貸家が並んでいた。
その貸家のうちの一軒にピアノ教室があって、私たち姉妹でそこに通っていた。
(1980年代前後は、子どもはピアノと書道とそろばんを習うのがブームだった)
少し歩くと、小さいショッピングセンターや個人の八百屋、クリーニング店があったが今はない。
よく遊びに行った公園には、木登りをよくした木があったが、今は全くない。
それらのいろいろな思い出の場所についての写真が、驚くほどない。。
今は、スマホでみんなが写真を撮る時代になった。
いつでも撮れるのだが、どこかに遊びに行った特別な風景や、
誰かと一緒に過ごした出来事や、食事が撮影される。
それはそれでいいのだが、
近所や身の回りの写真も記録されると、
いろいろな記憶が一緒によみがえってくることも多いし、地域の記録にもなるだろう。
そういう意味で、google map に投稿する写真などは、長い目で見ると貴重な記録になるのかもしれない。
座間市立東原小学校の正門脇の桜並木(2022年4月2日撮影)
neco5959 at 23:57|Permalink│Comments(0)
2020年01月01日
2020年元旦
あけましておめでとうございます。
今年一年も、株式会社シンクアップ共々、よろしくお願い申し上げます。
昨年度の仕事を通じて、事業の方向性が固まってきた気がします。うれしいことに、独立のきっかけとなった案件(AI、DS、統計教育)が進んでいます。これまで多く頂いた出会いに感謝です。
昨年11月、沿線を走る相鉄線がJR直通になって、神奈川県央から東京につながったことに励まされた気持ちになっています。
人生をドラマとして見立てると、最近の出来事は伏線回収のようにみえなくもないと思い巡らしています。しかし神様の計画されることは計り知れないわけで、2020年の展開が自分自身楽しみです。
◉
プライベートでは、家の庭と、近所のお店(珈琲、パン、八百屋、魚屋)に愛着を感じ、食事、特に発酵食品に目覚めました。
写真は年末にいただいたアイスケーキ。近くの中央林間の有名店、ジプレーのものだそうです。
neco5959 at 17:11|Permalink│Comments(0)
2018年08月03日
MORIFUJI COFFEEからRED POISONへ その2 広めずにいられない味
その1で、MORIFUJIさんの地元愛やDIYのエピソードで終わってしまったが、
なんと言っても「コーヒー」がピカイチ。
かくいう私は、コーヒーマニアというほどではないが、
毎日のコーヒーは欠かさない派。
夏でも、温かいコーヒーを飲む派。
でも、スタバの濃いコーヒーはちょっと苦手。
カフェの雰囲気は好きだけど。
カフェの雰囲気は好きだけど。
でも、紅茶みたいな薄いコーヒーもダメ。
という、軽めの coffee lover。
でも、MORIFUJI さんのコーヒーは、すっと飲めた。
甘い香りが非常に立つ。
なんと言っても後味がすっきり爽やか。
温かいコーヒーが冷たくなってもおいしい。
ここが、他のコーヒーと全く異なることだと、私は確信している。
(アイスコーヒーがいけるという意味とも違う)。
ということで、MORIFUJI のコーヒーを知ってからというもの、
このコーヒーを広めるor応援する、下記のささやかな努力をしている。
このコーヒーを広めるor応援する、下記のささやかな努力をしている。
1.コーヒーが好きそうだな、飲んでもらえそうだなという人に、
・コーヒーが好きそうな人にMORIFUJI をおすすめする
・さがみ野土産の代わりに、MORIFUJI を持参する
2.自宅で飲む朝コーヒーを、MORIFUJI に変更する。
というもの。
1については、私自身は2017年12月に新会社を起業したばかりなので、
挨拶に手土産というケースが少なからずあるのだが、
香りが豊かなこのコーヒーと一緒に、新会社を思い出せてもらえれば
本当に幸せというもの。
「冷たくなってからも美味しいんですよ」というと、
たいていの好奇心の強い人は、
トライしてみて、「本当だね」と感想をくれることがよくある。
トライしてみて、「本当だね」と感想をくれることがよくある。
2にについて、MORIFUJI COFFEEがおいしく飲めるのは、
「座間」の「おいしい水」だと思っている。
(埼玉の水は、残念ながら美味しくなかった、、、、、)
ブラックでも美味しく飲めるコーヒーには、
実はなかなか巡り合っていなかったなぁと気付く。
ということで、
MORIFUJI COFFEE ならぬ
RED POISON は、癖になること間違いなし。
他が飲めなくなるというのが、
いいのか悪いのか・・・ww
いいのか悪いのか・・・ww
neco5959 at 00:43|Permalink│Comments(0)
2018年08月02日
MORIFUJI COFFEEからRED POISONへ その1
以前、さがみ野に越してきてから、MORIFUJI COFFEEとの出会いがあった
話は、ブログ記事に書いたことがある。
そのときから、
morifuji さんが「実店舗」を地元「さがみ野」で持ちたいという夢を
持っていることは聞いていた。
昨年まで、大学に在籍し、地域連携とか地域創生とか考えてきたけれど、
私の同級生が、私の故郷でもある「座間市」「さがみ野」を盛り上げたい
という話を聞くと、いまさらながら「自分事」でもあるな、という気がして
勝手に、当事者意識を持ってきた。
約50年前に、ここの地で育ってきた者としては、
さがみ野の桜並木の商店街は、昨年引越してきてみると
「なんとなく、さみしい」感じだった。
もともとあるお店が全くなくなったわけではないけれど、
そんなに人が入っているようにも思えない、、、
昔からあったお店が閉店する、、、とか見ていると
時代の流れとはいえ「さみしい」。
そこで、小学校同級生の、実店舗の立ち上げ。
自分自身も、元の故郷に戻って、広報サービスの起業をしたわけだが、
いまのところ、まだ、地域との連携は実現できていない。
5月連休明けから、MORIFUJIさんは、「DIYで、店を作る」ということで
ネット通販もやりながら”コツコツ”お店を作り上げていた。
業界では、ありえないネーミングだという、その名も”red poison"に
店名も変えるという、その覚悟。
店名も変えるという、その覚悟。
ほぼ毎日、店の前を通りながら、小さくお祈りをしてきた。
「うまく行きますように」
本当にうれしい。
さがみ野の人たち、
さがみ野に通勤、通学する人たち、
同級生、その家族、皆さんに
ぜひ、立ち寄ってほしい。
”おいしいコーヒー”との出会いを求めて。
RED POISON COFFEE
neco5959 at 01:04|Permalink│Comments(0)