本の紹介
2022年09月04日
メモ『「利他」とは何か』
「利他」という言葉が気になったので読書。
仏教用語だが、私的には(クリスチャン)キリスト教的アプローチの方がなじみ深い。
印象に残った(分かりやすかった)、伊藤亜紗氏の章のみをメモに。
●合理的利他主義
利他が自分のためになる。
他者に利することが、結果として自分に利することになる。
情けは人のためならず。
ジャック・アタリの「利他主義」
パンデミックを乗り越えるためのキーワード
みずからが感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を確実に防ぐ必要がある
●効果的利他主義
合理的利他主義をさらに推し進めた主義。
ピーター・シンガーの考え。
幸福を徹底的に数値化。
得られる善を事前に評価し、最大になるところに寄付の対象を定める
(同じ寄付をするならどこに寄付するのが効率的か)
●利他とは「うつわ」のようなもの。
相手のために何かをしようとしているときであっても、
自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っていること。
cf. 鷲田清一
ケアというのは、「なんのために?」という問いが失効するところでなされるもの。
(条件なしに、ただ受け入れること。)
●利他の他は人間だけに限らない(自然とか)
neco5959 at 19:56|Permalink│Comments(0)
2020年09月16日
【感想】普通の人のためのSNSの教科書 その1
久しぶりに読みたいと思い、読後、腹落ちした本。
徳力基彦「普通の人のためのSNSの教科書」(朝日新聞出版)
実名でSNSで発信すると、自分の興味関心を持った人とつながれるし、
それがビジネスに発展することもあるので、オススメだよ、という内容。
確かに!!
私自身はFacebookは2010年位からやっていて、実名で投稿は基本公開モード。
2011年頃は、大学職員時代だが、広報を担当としており役職になっていたので、
実名で発言してもいいかと思った。
仕事でも、FBを活用しようと決めていたこともある。
もちろん、プライベートをどの程度出すかというためらいがなかったわけではないが
プライベートの活動でもアピールしたいイベントがあったので、結構オープンだと思う。
もちろん、極秘事項はオープンにしてはいけない。
とてもありがたいのは、大学職員時代にFBでつながっている人が
大学を退職して起業しても、つながり続けてもらえているということ。
ちなみに、私の現在のSNSでの実名出し状況としては、
ブログ(これ)、twitter、インスタ=ハンドル名
Facebook、LINE=実名
日本人は、特にLINE利用が多いのだが、
以前からクローズドでの対話は、それ以上発展がない、
良い意味での、偶然の出会いや対話発生のハプニング(セレンディピティ)もないのが、
さみしいなと思っていた。
もちろん個人情報を公開することは、リスクも伴うのは承知だが、
社会人として活動すれば、名前が外に出るのは当然である。
そして、実名にすると
「言いっぱなし」とか「激しい攻撃」とかはしにくくなる。
批判するにしても、なぜ批判するのかという大人の発言が必要である。
【結論】
もう、起業をしているのだし、
少しずつ、実名の範囲を広げていこうと思った。
そして、発信も多くしていきたい!
コロナを機にもう一度、SNSが盛り上がるのではと思ったりしている。
【付け足し】
でも、炎上したらどうするのよ、、とかは気になると思うので、
それはまた次の機会に。
それはまた次の機会に。
(参考)
「普通の人のためのSNSの教科書」で、私が気になった箇所
(他にも付箋だらけだが・・・)
シンデレラではなく「わらしべ長者」をめざそう。
今は職場でくすぶっているけれも、いつか上司や人事が自分の価値を認めて
異動させてくれて、チャンスをくれる(略)しかし、そんな日が都合よくやってくるとは
限りませんし、(略)
ネットでの発信を地道に継続することには、そんな「わらしべ長者」のような効果があります。日々の小さな配信が少しずつ蓄積されていき、大きな成果を呼び込む。まさに「わらしべ長者」なのです。
neco5959 at 00:55|Permalink│Comments(0)
2020年05月03日
ほしおさなえ「菓子屋横丁月光荘 歌う家」(感想)
同じく川越の古民家に住むことになった大学院生と「家」にまつわる話。
家の声を聴くことができる能力を持つ主人公、遠野が、
幼い頃の家族に関する思い出と絡めて、家から聞き取った声や思いを語る小説である。
第1話「かくれんぼ」では、
屋根が強風で壊れそうな家が、苦しそうにうめく声。(遠野の幼い頃の家の声)
やさしく、あたたかく、胸がぎゅっとしめつけられるような声。(川越の月光荘の声)
歌うような声。よく聞く歌。
家の片づけをしている時に聞こえる調子っぱずれだが、楽しそうな声。
僕の声が聞こえるのか、家の方もますます上機嫌になって、歌い続ける。
・・・というように、「家の声」が紹介される。
遠野の、家族の思い出は少し苦いものだが、その代わり「家」の声が自分を癒していることに気が付く。
それは、川越の古民家(過去の歴史から月光荘と命名される)に住むことになっても同様で、
「菓子屋横丁」という、観光でにぎわう観光スポット近くの家でありながら、
家の歌声を聞くことで、家の思い出に付き合うかように、遠野もさながらタイムスリップする。
この小説では、家が文字通り「擬人化」している。
遠野と古民家の持ち主とつないだ所属する大学のゼミの木谷先生、近くに住むゼミ友達、べんてんちゃん、古民家の歴史を知る近所の喫茶店のマスター、安藤さんらの、川越や古民家を愛する人々のやりとりが、温かでほっこりする。
また、第2話「かくれんぼ」では、同じく川越にある、自分の父親の実家だった和菓子店を相続・修理し、
焙煎珈琲店を営もうとする佐久間さんの話。
ここでも、遠野が、和菓子店の古民家の「声」を聞きつつ、
佐久間さんの家族の過去、そして、店舗づくりを中心としながら
新しいストーリーが紡がれていくのを温かく見守っていく話になっている。
遠野自身のキャラクターはどちらかというと内向的だが、
「家」やそれらの人々にまつわるストーリーや思い出を共有するうちに、
家族との苦い思い出も溶けていくかのよう。
●
以下感想。
全体を通して「家」との会話が多いので、読んでいるときから、読者自身の目や耳が、今いる「家」や「建物」を意識してしまうことに気が付く。
家の掃除、特に、窓や床を拭いたり、磨いたりしていると、まるで、菓子屋横丁月光荘の遠野になったように、
家や家族の思い出がどこから聞こえてくるような気がする。
私自身は、生まれてから20数年間、今の家に住んでいて、その後、東京→埼玉に引越して、
退職を機に、生まれた家に戻ってきた。
家の近辺で、昭和に建てられた家は、本当に少なくなってしまったが、
道路自体はそれほど変更がないだけに、幼いころに見た、家屋やアパートの面影や
そこに住んでいた、幼い友達の顔を時折思い浮かべながら、歩くことが多い。
今の住宅は、建材も窓の大きさもよく考えられ、室内の温度も快適になるよう
コントロールされているし、換気ももちろんよい。性能のよいエアコンのおかげでもある。
清潔で、整理整頓された家も多い。
だが、幼い頃(昭和の頃)、友達の家に遊びに行くと、その家の「匂い」がすることが
あった。玄関にまで、家のモノがあふれている家があったり。
一軒家であれば、縁側がある家も多く、そこで近所の人と話し込んだりするのも日常。
・・・そんな記憶をたどる散歩は、誰でもしていそうだ。
とすると、遠野のような、家の声が聞こえる能力というのは、
そんなに特別なことではないのかもしれない。
久しぶりにゆったりとしたテンポの小説に癒され、
思わず、続編「浮草の灯」を読み進めている。
neco5959 at 22:46|Permalink│Comments(0)
2020年01月04日
読解力をいかに身につけるかー新井紀子さんインタビューを読んで
読解力をいかに子どもに身につけるか。
動画ではなくて、文章を読む力、内容を把握する力。
特に、文中の以下の文章には、少し思い当たるフシが。
この「ストーリードリブン」とは、
目の前の文章に、感情移入してしまうことなのではないかと思っている。
事実把握にとどまらず、むしろそこに出てくるキーワードや設定に過剰反応してしまう状態のこと。
先日(2019/12/26)、算数・数学ワークショップ(主催:NPOマナビバ)の後、
オトナから出た意見だったが、
「ある小学生に、アメを使った文章題を出した。
その子の反応は、”アメでなくて、チョコレートがいい”ということで、
算数の問題の解答の方に、なかなかいかなくなってしまった」
とのこと。
こういうということなんだろうと思う。
国語の文章題ならともかく、算数の簡単な文章題で、これだと先生も大変である。
で、対策はどうするかだが、
強制的にでも、少しずつでも「本」を読む時間を作る(作らせる)しかないのだと思う。
家族(親)が本を読む姿を見せるしかないだろう。
そして、ヒトと会話をすることをいとわないこと。
(Business Insider)
新井紀子先生のご意見にはこの文章に限らず、全面賛成というわけではないのだが
賛同するところも、ある。今回の1人1台PCによるICT教育で読解力が本当にあがるかどうかはともかくとして。
PISAでの、学力の測り方はともかくとして。
「読解力」はやはり読書量が基礎になるのではないかと、やっぱり思っている。
特に、文中の以下の文章には、少し思い当たるフシが。
先日中学生に対して数学の授業を行った際は、数学を読解の問題として捉えて、特にストーリードリブンな読み方をしている女の子に対して、“正確に読む”方法論を伝えました。文章から適度な距離を保ちながら正確に読む読み方と、小説のように入り込んで読む、その両方の読み方ができると、この先の選択肢が広がるよと説得しました。
この「ストーリードリブン」とは、
目の前の文章に、感情移入してしまうことなのではないかと思っている。
事実把握にとどまらず、むしろそこに出てくるキーワードや設定に過剰反応してしまう状態のこと。
先日(2019/12/26)、算数・数学ワークショップ(主催:NPOマナビバ)の後、
オトナから出た意見だったが、
「ある小学生に、アメを使った文章題を出した。
その子の反応は、”アメでなくて、チョコレートがいい”ということで、
算数の問題の解答の方に、なかなかいかなくなってしまった」
とのこと。
こういうということなんだろうと思う。
国語の文章題ならともかく、算数の簡単な文章題で、これだと先生も大変である。
で、対策はどうするかだが、
強制的にでも、少しずつでも「本」を読む時間を作る(作らせる)しかないのだと思う。
家族(親)が本を読む姿を見せるしかないだろう。
そして、ヒトと会話をすることをいとわないこと。
【つけたし】
甥(東京の公立小学校1年生)が冬休みの宿題で、読書+読書感想文を3冊分、
課されたと聞いたが、
読書感想文というより前に、何がどうだったか要約(あらすじ)を書かせるとよいの
読書感想文というより前に、何がどうだったか要約(あらすじ)を書かせるとよいの
ではないかと思った。
気持ちor意見を言う前に、客観的な事象を共有してから、「個人的な意見」を述べること。
これが、社会人になってもできないヒトって、本当にいた(とってもやっかい)。
neco5959 at 00:02|Permalink│Comments(0)
2020年01月02日
大学のグローバル経営を考える
昨年末(2019年12月)、株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン(以下、K&A)より、
「大学のグローバル経営」に関する冊子がe-bookとして発行されました。
(リンク先のサイトより、無料でダウンロード可能です。本文:全33頁)
株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン
『Crisis or Opportunityー危機か機会か 未来のハイヤーエデュケーションのために』
そのうち、GKB48(学校広報ソーシャルメディア活用勉強会)として、大学マネジメント研究会会長・
この記事のための企画・編集の過程でもそうですが、昨年度QS APPLE2019に関する広報活動に
協力する過程で、本当の意味での経営のグローバル化が進んでいる大学は、日本では本当に少ない
ということを実感しました。
「国際○○」とか「グローバル○○」という名称がついた、学部・学科は、日本の大学に数多く存在し、
実際に、3ポリシーでも、海外を意識していることが多いにもかかわらず、です。
もちろん日本のどの大学でも、「国際交流」や「留学生」を意識した部署はありますが、”グローバル”を
「経営」までに組み込んでいるのかということでいうとそうではありません。
どうしてか。
それは、出口学長が、冊子で答えられたとおり、
(グローバルしなくても、日本の大学は)「困っていないから」(P27)。
日本の大学も、これからもそれでよい、ということではないはずですが、
本格的な改革に取り組まない限り実現できず、
困ったという意識がない教員・職員に、改革に着手はできず。
また、そもそも本格的にグローバル経営のための、日本の大学の改革を行うのであれば、
教育投資の財源のために、国家として取り組まないと日本の将来はないわけです。
いまの日本の教育が海外にとって魅力がないかというと全くそうではない。
スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバルさんのメッセージがささりました。
「大学が学生を教育するのは社会のためである、大学のためではない、ということを
私たちは肝に銘じなければなりません」。(P21)
2020年、オリンピックイヤーとして、日本が海外から注目される年に、
今いちど「真にグローバルな教育」について、考えてみてはいかがでしょうか。
--------------------------
【目次】
01 大学のクロスボーダー戦略
四川大学–香港理工大学災害復興管理学院 学部長
グレチェン・カロンジ
02 大学改革に必要な多様性
学校法人梅光学院理事長 大学マネジメント研究会会長
本間政雄
03 先手をとって変化する大学であれ
スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバル
04 大学は成長産業である
APU(立命館アジア太平洋大学) 学長
出口治明
05 早稲田大学評議員・商議員(全財務担当常務理事)
鈴庄一喜
エンダウメント創設と経営ガバナンス改革
「大学のグローバル経営」に関する冊子がe-bookとして発行されました。
(リンク先のサイトより、無料でダウンロード可能です。本文:全33頁)
株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン
『Crisis or Opportunityー危機か機会か 未来のハイヤーエデュケーションのために』
そのうち、GKB48(学校広報ソーシャルメディア活用勉強会)として、大学マネジメント研究会会長・
梅光学院理事長の本間政雄さんと、APU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口治明さんの記事の編集に携わりました。
この記事のための企画・編集の過程でもそうですが、昨年度QS APPLE2019に関する広報活動に
協力する過程で、本当の意味での経営のグローバル化が進んでいる大学は、日本では本当に少ない
ということを実感しました。
「国際○○」とか「グローバル○○」という名称がついた、学部・学科は、日本の大学に数多く存在し、
実際に、3ポリシーでも、海外を意識していることが多いにもかかわらず、です。
もちろん日本のどの大学でも、「国際交流」や「留学生」を意識した部署はありますが、”グローバル”を
「経営」までに組み込んでいるのかということでいうとそうではありません。
どうしてか。
それは、出口学長が、冊子で答えられたとおり、
(グローバルしなくても、日本の大学は)「困っていないから」(P27)。
日本の大学も、これからもそれでよい、ということではないはずですが、
本格的な改革に取り組まない限り実現できず、
困ったという意識がない教員・職員に、改革に着手はできず。
また、そもそも本格的にグローバル経営のための、日本の大学の改革を行うのであれば、
教育投資の財源のために、国家として取り組まないと日本の将来はないわけです。
いまの日本の教育が海外にとって魅力がないかというと全くそうではない。
本間政雄さんが冊子で言うように、
大きな期待が寄せられているのは、高等教育の「理工系の教育・研究」であり(P12)、
「小中高の教育」がしっかりしている(P14)ことも注目すべき点であるわけです。スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバルさんのメッセージがささりました。
「大学が学生を教育するのは社会のためである、大学のためではない、ということを
私たちは肝に銘じなければなりません」。(P21)
2020年、オリンピックイヤーとして、日本が海外から注目される年に、
今いちど「真にグローバルな教育」について、考えてみてはいかがでしょうか。
--------------------------
【目次】
01 大学のクロスボーダー戦略
四川大学–香港理工大学災害復興管理学院 学部長
グレチェン・カロンジ
02 大学改革に必要な多様性
学校法人梅光学院理事長 大学マネジメント研究会会長
本間政雄
03 先手をとって変化する大学であれ
スウェーデン ルンド大学教授 工学部(LTH)部長
ビクター・オーバル
04 大学は成長産業である
APU(立命館アジア太平洋大学) 学長
出口治明
05 早稲田大学評議員・商議員(全財務担当常務理事)
鈴庄一喜
エンダウメント創設と経営ガバナンス改革
--------------------------
画像をクリックすると、e-bookがダウンロードできます(無料)
neco5959 at 17:06|Permalink│Comments(0)