対話カフェ

2018年04月08日

4/2開催「てつがくカフェ✕別れの博物館」(報告)

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「別れの博物館」のコラボする「てつがくカフェ」を4月2日に開催。
(告知記事⇒ ありそうでなかった企画!「てつがくカフェ×別れの博物館」

まだ、3月31日から開催が始まって間もない、「別れの博物館」
または「別れ」について、話したいという方が、
18:30、アーツ千代田3331の1Fラウンジに集まりました。
結果「てつがくカフェ」の経験がない方がほとんどでしたが、活発に発言が飛び交いました。

1.全体の感想、意見
まずは、この博物館の展示を見ての感想や、企画についての意見を出していただきました。

1)博物館の展示の特殊性について

普通の美術館と、どのように異なるのかから言及が始まりました。
モノの存在より、モノの「説明」や「物語」の存在が大きく、そこから、出品したヒトの思い出や
経過した時間について、思いをはせる「博物館」であるということ。
また、「別れ」がテーマの展覧会だが、ネガティブに感じられないという感想も聞かれました。

2)「別れ」について
「別れ」自体を考察する意見も出ました。
「別れ」と「出会い」は、対立しているように見えるが、実は二項対立ではない。
「別れ」のストーリーに「出会い」は含まれており、人生の中において、どちらも含まれているというような意見、そして、DVからの「別れ」は、「救い」である場合もある、などの話も出ました。


3)「モノ」にまつわる思い出
出品された「モノ」の例を出しながら、「別れ」を経験した前後の「モノ」に対する思いや、
印象の変化について感想や分析が話されました。

印象の変化は、それぞれの「別れ」方によって左右されるが、
その国固有の背景となる文化によっても、大きな違いがあるのでは、という意見も出ました。
たとえばアメリカと日本を比べて、日本のほうがモノに対する執着を持つヒトが多いことや
アニミズム、人形供養・針供養などの例が出されました。

一方で、すごくカラッとドライな印象を感じられる「モノ」もあり、
よくある「別れの形式」のパターンに落とし込み、「別れ」を消費しているイメージも
感じられるという意見もありました。

また、「モノ」と「ゴミ」の違いから「断捨離」との違い、震災の時の「ガレキ」への考察もありました。
「博物館」主催者からは、モノへの執着心ともいえる、展示が、秋葉原(VRの象徴)の展覧会で行われることの面白さの指摘もあり、参加者一同うならされました。


4)「モノ」を「博物館」に提出する「思い」

さらに、「別れ」を経た「モノ」を「博物館」に出品する「思い」について
考察を深める意見が出ました。

・なぜ、好きなヒトのものを提供できるのか
=ザグレブに預けることで「終わり」にしない、という想いではないか。
自分自身は預けて先に進むけれど、自分のモノに対する想いを博物館に託するという意味がある。


・モノを提出したヒトは「二度目のお別れ」できた。
(一度目は物理的な別れ、そこから受けるショック、二度目は、前に進むための別れ)
=ネガティブではない、ことに通じる。
=客観的に見られるようになる。

2.キーワード抽出
最終的に、このカフェに集まった方々の「問い」や「答え」を練り上げることを目的に、
これまで出てきた意見をもとに、重要だと思われるキーワードを抽出してみました。

・時間を越えて残る思い出
・モノ
・二度目の別れ
・忘れる
・残る
・いなくなる/滅ぶ
・モノとの関係性
・文化

3.問い、答え
キーワードを、もとに「問い」を立ててみました。

・別れが関わるモノが、物理的なモノ以上の意味を持つのはどんなときか
・「別れる」とは「消える」ことなのか
・「別れる」とは「失う」ことなのか
・「別れ」とは「状況」なのか「行為」なのか
・どうしたら「別れる」ことができるのか
・同じ「別れ」なら、背景となる物語も同じか
・「別れ」はマイナスなものか

最終的には、下記の「問い」に絞ることになりました。

・「別れ」によって「残る」「変わる」ものはなにか

4.答え
「想い」(時間の経過によって変わる)
という意見が出てきたところで、時間が終了になりました。

個々の展示物のストーリーを追うところから、一歩進めて、
「別れ」の形や、そこにまつわる「モノ」との関係性、
時間の経過とともに、変化する所有者のモノへの思いについて、
多方面から考察することとなりました。

また「博物館」主催者から、代表やスタッフが加わったことで、
企画の意味や、出品者側の思いにも触れることができ、
「別れの博物館」を深く味わう、ひとときとなりました。

参加者からは、「会場皆で、意見を抽出し、まとめていく行為が面白かった」
「ずっと話していたかった」など、「対話」を楽しんでいる感想が聞かれました。
皆様、参加ありがとうございました。

【追記】黒板シート(プランドゥーアイ製品)へのグラフィックを試してみました。
シートが薄いので、メンディングテープでちゃんと貼りつきました。
(短時間でしたら、メンディングテープ利用OKとの会場側のお許し)
白壁に、黒板は、合いますね。

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2018年03月06日

ありそうでなかった企画!「てつがくカフェ×別れの博物館」

ありそうでない、企画!
「別れの博物館」の見学者と意見交換する、対話イベント「てつがくカフェ」。
4/2夜、「別れの博物館」とコラボ開催です!

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これは、「別れの博物館」(会期:3/31-4/14 於 アーツ千代田3331)の
開催期間中である、4月2日に、「てつがくカフェ」という対話イベントを
開催するというものです。

【きっかけ】
私が「別れの博物館」を、主催者のカネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパンの
方にご案内いただいたときに、下記の疑問がふつふつと起こりました。

「別れの博物館」って、何?
なんで、「別れ」たのに、思い出すものを、わざわざ展示しているの?
なんで、別れの記念品を、集めて、全世界を回っているの?

最初は、クロアチアの歴史にまつわる展示なのかと思いました。
でも、どうも違うようです。
私もこの博物館のことを、周りに紹介すると
「???」という顔をされます。

ということで、思い切って
「みんなで、この博物館のテーマを考えてみよう」と企画したのでした。
新会社を設立して、初企画です。
博物館を見てから、見学者たちと意見交換って、ありそうでないでしょ?
ちょうど「別れ」「出会い」の季節。
2時間、じっくり、このテーマに寄り添ってみませんか。

■てつがくカフェ×別れの博物館 開催概要
 
【日時】 2018年4月2日(月)18:30-20:30(開場 18:15)
【場所】 アーツ千代田3331 1Fラウンジ
(東京都千代田区外神田6-11-14)
【ファシリテーター】 株式会社シンクアップ代表 栗原直以
【グラフィック協力】 波止場てつがくカフェ  

【参加費】 1,000円(当日支払)
【定員】 20名(要予約。定員になり次第、締切)

【申込】 thinkupltd@gmail.com  に、
1)名前、2)〒 3)住所、4)電話をメールしてください
(4月1日12:00正午締切)
【主催】 株式会社シンクアップ 
【協力】 株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパン


【詳細説明】
「別れの博物館」は、2006年、クロアチアの元カップルがスタートしたもので、一般の方々から、「別れ」の際に残された「思い出の品」とそれにまつわるエピソードを募った品々を展示する博物館です。これまでに世界29ヵ国、45都市を巡回、日本では、株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパンが主催し、初開催となる展覧会です(会期=2018年3月31日(土) ~4月14日(土))。

この企画のコンセプトに深く関心を寄せた、株式会社シンクアップは、4月2日(月)、同会場、アーツ千代田3331にて、本博物館とのコラボレーションイベントとして、「てつがくカフェ×別れの博物館」を企画しました。この企画では、博物館見学者と、感想や意見の交換をするだけでなく、「てつがくカフェ」という対話形式をとることで、博物館の展示や、コンセプトについて、じっくり考え、語り合うひとときを持ちます。このイベントを通じ、参加者同士が交流し、自分では思いつかなかった考え方を見出し、展示を改めて深く味わうという、珍しい試みです。なお、本イベントのファシリテーションは、当社代表が担当します。

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■別れの博物館(参考)
http://brokenships.jp/

■てつがくカフェとは
わたしたちの日々の生活や、哲学的な問いに溢れています。恋愛、友情、働く、生きる意味、、、わたしたちは通常なんとなくわかっているような気がしますが、あらためて尋ねられると、それらについて明確に説明できないことに気づかされます。「てつがくカフェ」とは、参加者とともに、ゆったりとした空間で、お茶などを飲みながら、「哲学的な対話<話す⇔聞く>を丁寧に積み重ねてじっくりと考えていくこと)を通して、困難な問いかけに向き合ってみる対話の時間です。今回の「てつがくカフェ」では、「別れの博物館」の展示やコンセプトをテーマに語り合います。哲学の知識はいりません。


■本件に関する取材・お問合せは、以下にお願いします
株式会社シンクアップ 栗原直以
メール thinkupltd@gmail.com



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2017年11月23日

久しぶりに、東日本震災のことを考える「てつがくカフェ」

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11月18日(土)午後は、アーツ千代田3331で、久しぶりの、てつがくカフェ。

2016年5月まで、2年ほど、てつがくカフェ@せんだいカフェの流れをひいて、
東日本大震災に関して、考え、対話する、てつがくカフェを東京で開催していたが、
諸事情で、無期限休止となっていた。
てつがくカフェ@せんだい×とうきょう

今回は、「波止場てつがくカフェ」の運営者からご案内をいただき、参加した。
今回は、いわゆる「震災文学」の著者を招き、その本について、対話するという趣向。
東京で、震災を考える対話。

震災を考える、対話カフェは、決して楽しいものではない。
行った後の爽快感は、あまりない。
ただし、必ず、あらたな発見はある。

てつがく的ではない、感情論であるが、
正直に言って、東北の被災状況を見ると、
関東にいて、東日本大震災を”被災した”などとは、言ってはいけないような
引け目のようなものさえ感じている。

そういう立場で、東京から、震災を語るとは、何か上から目線のような、
全く被災地に「寄り添う」立場からかけ離れている行為であるようにも思う。

思いや考えの浅さが、対話ににじみ出る。
それでも、語るべきだと考えるのは、自分の人生で避けて通りえない出来事だったから
なのかもしれない。

わからない。



さて、今回の読書会+対話カフェ。

志賀泉さんの短編『花火なんか見もしなかった』(吟醸掌篇 vol.2所収)を読んでの感想から、
てつがくカフェ。
『花火なんか見もしなかった』は、
小学校を卒業する日に被災し、自分の根っこを断ち切られてしまった福島の少年少女たちの物語。
福島は、南相馬の小高地区が舞台となっている。

志賀さんは、福島の小高地区のご出身で、現在は関東に住む。
福島で、原発避難区域にされて、最近避難解除になったエリアに住む人たちの思い。
元住民は、大震災に続く、原発の爆発の故に、自分たちの生活は一変してしまったのだが、
一方で、原発のおかげで、自分たちの街を支えられてきた歴史もあるわけで、憎みきれない。
沖縄の基地の関係と同じだ。

それは、子どもも同じ。
志賀さんに、この少年少女(高校生)が登場する短編について、取材をどのように行ったのか
読書会で、私は聞いてみた。
「直接、高校で高校生に話を聴くと、とてもよいことを言う。
ただ、本当にそれが本音なのか?と疑問に思う。
仮設住宅の裏で聞こえる声とか、トイレで話されている声の端々の方が、
本音のような気がして、そこから話を作っていることがある」

というようなことを言われていた。
確かに、福島の復興エリアに新設された高校で、生徒が語った本音が本当なのかは、
いぶかしい、、、

前職で、被災地の子ども支援の小冊子を編集・発行し続けた関係で、
被災エリアに取材を続けていたが、
改めて、自分自身は、本当に被災地や子どもたちに寄り添っていたのか?
「てつがくカフェ」以前に、自分の過去と対話するような、3時間であった。
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