読解力

2020年01月04日

ノートが取れない中学生ー新井紀子さんインタビュー雑感

続いて、新井紀子さんのインタビュー感想その2。
全面的には、この記事のストーリーに賛成できないのだが、
個々のエピソードの問題意識は、今の子どもの課題として取り上げるべきものがあるように思う。

さて、新井さんは、今の子どもが「ノートが取れない」話を紹介している。
「読む」「書く」訓練が少ないからだと言いたいよう。

実は、今の子どもの多くが、中学生になってもノートが取れません。ノートの取り方自体がわからない。成績下位の生徒だけでなく、中の上の生徒でもそうなんです。板書を写させると、写すことに「認知負荷」がかかりすぎるので、先生の話が聞けなくなります。板書に認知負荷が全て持っていかれてしまい、先生の話が聞けない状態なのです。本来ならば小学校3、4年生くらいまでに、先生の話を聞きながらノートが取れるようになってほしいのですが、それが難しい状況になっています。


インタビュータイトルにある「ノートを取る」は、
「先生の話を聞きながらノートが取れるようになる」レベルになることを
想定しているのだと思うが、
その「ノート」を取る作業というのは、いろいろな工程がマルチで進行している状況である。

今は、小中学生くらいだと、先生がバッチリ、ノートに取る内容を板書して、
「さあ、ノートに書いて」と生徒に指示がでて、
それを寸分違わず書き写すということがある。

この状況(黒板をノートに丸写し)から
先生が書かなくても(書きなさいと言わなくても)
重要なポイントを書き取るようになるというようになるには、訓練が必要に思う。
つまり、ノートに取る前に、「聞く」「理解」するという工程が入る。

この高次の作業は、小学校では特に訓練はしないのではないか?
ひょっとすると中学生もやらない。
とすると、高校生くらいで、先生の話を聞いて「ノート」を取るという工程を学ぶのか?

私自身は「ノートの取り方」なる授業は特に受けていないと思うのだが、どこかで会得したわけだ。

ちなみに、大学で、先生があまり黒板に書かず、「ノート」を取る講義というのもあったが、
一方で、先生の言葉を一字一句漏らさず書き留めるという講義もあった。


話のポイントをつかむこと。
書き留めること。

これは「ノートを取る」場合に発生する作業ではあり、
個々に論じたほうが整理されるような気もするが、
子どもが物事を把握するときには、「鉛筆(ペン)でノートに書き留める」ことが
ICTを利用するより、脳の刺激という意味で、よいような気がしている。
ここは、もう少し、引き続き、情報を集めてみたい。


【追記】
もちろん、オトナになってからPCで話を書き留めるのは、事後の作業効率化の観点で
アリだとは思う。
ただ、取材などだと、アナログ派で手を動かしたほうが、
後々の編集にいいような気もするんだけど、どうだろう?
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neco5959 at 22:34|PermalinkComments(0)

読解力をいかに身につけるかー新井紀子さんインタビューを読んで

読解力をいかに子どもに身につけるか。
(Business Insider)

新井紀子先生のご意見にはこの文章に限らず、全面賛成というわけではないのだが
賛同するところも、ある。

今回の1人1台PCによるICT教育で読解力が本当にあがるかどうかはともかくとして。
PISAでの、学力の測り方はともかくとして。

「読解力」はやはり読書量が基礎になるのではないかと、やっぱり思っている。
動画ではなくて、文章を読む力、内容を把握する力。


特に、文中の以下の文章には、少し思い当たるフシが。

先日中学生に対して数学の授業を行った際は、数学を読解の問題として捉えて、特にストーリードリブンな読み方をしている女の子に対して、“正確に読む”方法論を伝えました。文章から適度な距離を保ちながら正確に読む読み方と、小説のように入り込んで読む、その両方の読み方ができると、この先の選択肢が広がるよと説得しました。


この「ストーリードリブン」とは、
目の前の文章に、感情移入してしまうことなのではないかと思っている。
事実把握にとどまらず、むしろそこに出てくるキーワードや設定に過剰反応してしまう状態のこと。

先日(2019/12/26)、算数・数学ワークショップ(主催:NPOマナビバ)の後、
オトナから出た意見だったが、
「ある小学生に、アメを使った文章題を出した。
その子の反応は、”アメでなくて、チョコレートがいい”ということで、
算数の問題の解答の方に、なかなかいかなくなってしまった」
とのこと。

こういうということなんだろうと思う。
国語の文章題ならともかく、算数の簡単な文章題で、これだと先生も大変である。

で、対策はどうするかだが、

強制的にでも、少しずつでも「本」を読む時間を作る(作らせる)しかないのだと思う。
家族(親)が本を読む姿を見せるしかないだろう。
そして、ヒトと会話をすることをいとわないこと。

【つけたし】

甥(東京の公立小学校1年生)が冬休みの宿題で、読書+読書感想文を3冊分、
課されたと聞いたが、
読書感想文というより前に、何がどうだったか要約(あらすじ)を書かせるとよいの
ではないかと思った。

気持ちor意見を言う前に、客観的な事象を共有してから、「個人的な意見」を述べること。
これが、社会人になってもできないヒトって、本当にいた(とってもやっかい)。
arainoriko





neco5959 at 00:02|PermalinkComments(0)