震災文学

2017年11月23日

久しぶりに、東日本震災のことを考える「てつがくカフェ」

171118cafe

11月18日(土)午後は、アーツ千代田3331で、久しぶりの、てつがくカフェ。

2016年5月まで、2年ほど、てつがくカフェ@せんだいカフェの流れをひいて、
東日本大震災に関して、考え、対話する、てつがくカフェを東京で開催していたが、
諸事情で、無期限休止となっていた。
てつがくカフェ@せんだい×とうきょう

今回は、「波止場てつがくカフェ」の運営者からご案内をいただき、参加した。
今回は、いわゆる「震災文学」の著者を招き、その本について、対話するという趣向。
東京で、震災を考える対話。

震災を考える、対話カフェは、決して楽しいものではない。
行った後の爽快感は、あまりない。
ただし、必ず、あらたな発見はある。

てつがく的ではない、感情論であるが、
正直に言って、東北の被災状況を見ると、
関東にいて、東日本大震災を”被災した”などとは、言ってはいけないような
引け目のようなものさえ感じている。

そういう立場で、東京から、震災を語るとは、何か上から目線のような、
全く被災地に「寄り添う」立場からかけ離れている行為であるようにも思う。

思いや考えの浅さが、対話ににじみ出る。
それでも、語るべきだと考えるのは、自分の人生で避けて通りえない出来事だったから
なのかもしれない。

わからない。



さて、今回の読書会+対話カフェ。

志賀泉さんの短編『花火なんか見もしなかった』(吟醸掌篇 vol.2所収)を読んでの感想から、
てつがくカフェ。
『花火なんか見もしなかった』は、
小学校を卒業する日に被災し、自分の根っこを断ち切られてしまった福島の少年少女たちの物語。
福島は、南相馬の小高地区が舞台となっている。

志賀さんは、福島の小高地区のご出身で、現在は関東に住む。
福島で、原発避難区域にされて、最近避難解除になったエリアに住む人たちの思い。
元住民は、大震災に続く、原発の爆発の故に、自分たちの生活は一変してしまったのだが、
一方で、原発のおかげで、自分たちの街を支えられてきた歴史もあるわけで、憎みきれない。
沖縄の基地の関係と同じだ。

それは、子どもも同じ。
志賀さんに、この少年少女(高校生)が登場する短編について、取材をどのように行ったのか
読書会で、私は聞いてみた。
「直接、高校で高校生に話を聴くと、とてもよいことを言う。
ただ、本当にそれが本音なのか?と疑問に思う。
仮設住宅の裏で聞こえる声とか、トイレで話されている声の端々の方が、
本音のような気がして、そこから話を作っていることがある」

というようなことを言われていた。
確かに、福島の復興エリアに新設された高校で、生徒が語った本音が本当なのかは、
いぶかしい、、、

前職で、被災地の子ども支援の小冊子を編集・発行し続けた関係で、
被災エリアに取材を続けていたが、
改めて、自分自身は、本当に被災地や子どもたちに寄り添っていたのか?
「てつがくカフェ」以前に、自分の過去と対話するような、3時間であった。
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neco5959 at 00:21|PermalinkComments(0)